« イサベル女王の足跡を巡る旅に出発 | トップページ | トルデシリャスからブルゴスへ »

2018年2月12日 (月)

セゴビアからアビラ、メディナ デル カンポ、バヤドリードへ

今日はまずアビラに行ってからメディナ デル カンポに寄ってバリャドリードに向かう。アベラへは朝10:15のバスがあり約1時間で到着と観光ルートとしてはたいへんありがたい。バスターミナルはホテルから近いので朝はゆっくり。ホテルからは結構急な階段を下りてバスターミナル前のバルで朝食。あまり大したものはなく現地の人はコーヒーのみ注文する人が多かったが、おススメの朝食をお願いしたいと伝えたが、カフェオレだけになってしまった。仕方ないのでパンも注文。もっとゆっくりおいしい朝食を食べようと9時頃来たが9:30には店を出てバスターミナルに行くとAVANZA社のアビラ行のバスを発見し安心。乗客もたくさん集まってきたので、このバスに乗るかと思ったが違うバスに乗り込んでいった。おそらくマドリード行だろう。今日は晴れていてアルカサルもこの天気で撮りたかったと少し後悔。バスは定刻通り出発し、一般道を快走。日本の地方にもこういうところがあるが横には高速道路も通っており、このスピードで走れれば一般道で十分だ。アビラにはぴったり11:15に到着。隣は国鉄駅で荷物預かりやコインロッカーがあると便利なのだが、ドイツ鉄道のようには整備されていない駅が多く、仕方なく荷物を持って移動。アビラは世界遺産の城壁がある街だが、その城壁は月曜日は休みで残念ながら上ることができない。まずは城壁の入口にある大聖堂を目指す。20分ほど歩いて大聖堂に到着。城壁と一体となっており、入口は城壁を抜けて反対側になっている。セゴビアもそうだったがここの大聖堂内も結構寒い。
アビラの大聖堂 アビラの大聖堂
大聖堂を出て有名なステーキを食べてみようとちょうど昼の12時の開店とともにお店へ。チュレトンというTボーンステーキでなかなかのボリュームで食べ甲斐があった。ヨーロッパでレストランに入るとだいたい1時間くらい掛かってしまうので、昼の貴重な時間ではなかなか入ることが少ないのだが、ここではスープからセットでデザートとコーヒーも付くというのでフルコース。
チュレトンというTボーンステーキ
そうしているうちにやっぱり13時を回ってしまい、時間がなくなってきたので、会計を済ませて美しい城壁が見渡せるアダハ川の向こうにある見晴台へ。やはり川を渡るために下っては上り、しかも荷物を持って往復はなかなかきつい。ただ、見晴台からの城壁の眺めは素晴らしく、観光客も集まっておりわざわざ来た甲斐があった。
世界遺産のアビラ城壁
帰りもバスが来れば乗ってもいいのだが本数も少なく、電車の時間まであと30分なので駅まで急ぐ。時間があれば当時隠れユダヤ教徒やイスラム教徒を取り締まるために最初の宗教異端審問官に就任したトマス デ トラケマダ修道士ゆかりの修道院もあるので寄ってみたかったが時間切れ。雪がたくさん積もっているので城壁の周りでソリで遊んでいる子どもたちがいっぱい。無事14時ちょうどに駅に到着したが、14:05の列車は10分ほど遅れているらしい。スペインの列車はローカル線でもすべて座席が指定されている。メディナデルカンポまでは所要45分なのだが、途中30km/hの工事区間が多くさらに遅れてしまった。途中、イサベル女王が幼少時代を過ごしたアレバロを通る。この街も降りてみたかったが、そこまで見るところもなさそうなのでパスした。父王であるファン2世が亡くなり、腹違いの兄エンリケ4世が継いだ後、王宮から遠ざけられて過ごした街である。メディナデルカンポでの滞在時間は1時間40分であるがこの列車が遅れるからといって次に乗る列車が遅れるとは限らないので、遅延分を考慮すると1時間20分でしかも市内までの往復の時間を考えると。あまりゆっくりもしていられない。そして駅はやはり手荷物を預かってもらえるところはなく持って回る。メディナ デル カンポのメディナはアラビア語の城塞、カンポは大平原だが、それぞれの街にもメディナ デル カンポと呼ばれるところがあって街の中心を表している。
メディナ デル カンポの広場にあるイサベル女王の銅像 右奥がイサベル女王の遺言の間入口
この街はイサベル女王が最後を過ごし亡くなった場所で遺言の間が再現されているが、残念ながら今日はその場所も月曜日で休み。イサベル女王の子どもは唯一の男子だったファン王子が亡くなり、長女のイサベルはポルトガルに嫁いだものの子どもを産んだ後に亡くなってしまい、フランドルのハプスブルク家に嫁いだファナが女王の権利を持つのだが、精神を病んでしまい、夫のフィリップは策士だった上にイサベル女王の夫であるフェルナンドはアラゴンの王ではあってもカスティーリャでの立場は限られていた。そんな中、遺言を書いてくれとフェルナンドに頼まれて書いた遺言の間の寝室が再現されている。広場まで行くと中心にはイサベル女王の銅像があり、角に遺言の間の入口があるがやはり今日は閉まっている。街自体も月曜日は休みらしく皆閉まっている。フェリアス博物館は開いているかと思ったが、やはり閉まっていた。仕方ないので線路を挟んで反対側に再建されたモタ城があるので行ってみる。この城はイサベル女王の時代にも最も世俗的な教皇と言われるバレンシア出身のロドリーゴ・ボルジア(ボルハ)ことアレクサンデル6世の息子であるチェーザレ・ボルジアが閉じ込められていた城として有名。当時深い堀には水が張られていたというがそこを抜けて脱げたらしい。
カスティーリャらしいモタ城
ロドリーゴ・ボルジアとはアラゴン王国の支配下にあったナポリを巡ってフランスと教皇の思惑も入り混じっての小競り合いがあり、イサベル女王の有能な将軍ゴンサロの活躍でナポリの支配を決定づける。モタ城も14:00~16:00はシエスタで休みとなり、16:00から再び開城される。さまざまな観光地でこの昼間の2時間という貴重な時間を閉めてしまうのは結構スケジュールを組む上で痛い。16時になり開城とともに入ってみるとそれ程見るところはないが入場はなんと無料。16:35の列車に乗るため、ざっと見て駅に戻る。列車は遅れるかと思ったが、この列車はサラマンカ発で遅れはなかった。2両の気動車でなんとなく日本の山陰線の特急のような雰囲気。結構混んでいて指定の席は別な人が座っていたので、近くの空いている席に座る。バリャドリードも現地では最後の「d」はマドリーと同じように発音せずバリャドリーと言っている。17時過ぎに到着しホテルにチェックインしたが、スペインはヨーロッパで最も西側にあるが時差が設けられていないため、日が沈むのは遅めになっており、朝は10時から開くところが多いが夜は遅めまでやっているところが多い。そのため、市庁舎のあるマヨール広場とイサベル様式のサン・パブロ修道院、大聖堂を見て回ってしまい今日1日でずいぶん回ったような気がする。しかもサン・パブロ修道院へは夜19:30からのミサに合わせて中も見ることができた。
バヤドリードのマヨール広場にある市庁舎 イサベル様式のバヤドリードの大聖堂

« イサベル女王の足跡を巡る旅に出発 | トップページ | トルデシリャスからブルゴスへ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« イサベル女王の足跡を巡る旅に出発 | トップページ | トルデシリャスからブルゴスへ »